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ヴァイッド・ハリルホジッチ

日本の守備文化に「デュエル」を浸透し、世界基準を目指したボスニアの名将

監督経歴

パリ・サンジェルマンで現役を退き、母国のボスニアヘルツェゴビナで カフェやレストランなどの事業を起こすもものの、旧ユーゴの内戦で全てを失う。そこから数年の無職期間を経て、42歳にして1から指導者の道を目指し始める。バイエルンやアヤックスなどに密着し、指導者のノウハウを身につけていった。

本格的な監督キャリアはモロッコのラジャ・カサブランカから始まり、フランス国内クラブや各国代表を率いて数々の功績を残していく。特にブラジルW杯でドイツを苦しめたアルジェリア代表で名将としてスポットライトを浴びることになる。

日本代表へ求めた「デュエル」

ボールを奪い縦に速いサッカーを志向するため、デュエル(決闘)というワードを多用していた。縦に速いカウンターを実践するために日本人選手が不得意とされているボール奪取の部分を強烈に意識させていった。

主な戦術・フォーメーション

4-2-3-1、4-3-3がメイン

配置は変われどハードプレスからのカウンターという基本コンセプトは変わらず。パスは繋がない。対戦相手に応じて配置やメンバー選考も変わるという意味では戦術的な監督とも言える。

就任当時はカウンターサッカーとかデュエルとかそれどーなのみたいな空気感あったけど、W杯のカタール大会とか見て何を思う…というのもあり、通るべき道だったのかもしれませんね。

監督データ

名前
name
ヴァヒド・ハリルホジッチ
Vahid Halilhodžić
国籍
country
ボスニア・ヘルツェゴビナ、フランス
生年月日
birthday
1952年5月15日
指揮チーム
team
1997-1998 ラジャ・カサブランカ
1998-2002 リール
2002-2003 レンヌ
2003-2005 パリ・サンジェルマン
2005-2006 トラブゾンスポル
2006 アル・イテハド
2008-2010 コートジボワール
2010-2011 ディナモ・ザグレブ
2011-2014 アルジェリア
2014 トラブゾンスポル
2015-2018 日本
2018-2019 ナント
2019- モロッコ
マネジメント
management
政治力
politicalpower
育成力
fostering
補強力
reinforcement

その他データ

服装
dress
基本スーツ。なお日本代表時代のオフィシャルスーツはダンヒル。
趣味
hobby
影響を受けた人物
affected

名言

「私のチームにスターは要らない。満足できないのであれば、今すぐ出ていってもらう。それが私のやり方だ。」
引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/829389

1億3000万人の日本人が、日本代表に何らかの期待を抱いている。それに対して私には大きな責任がある。彼らが誇りを持てる代表に私はしたい。
引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/829970

参考URL

ヴァヒド・ハリルホジッチ – Wikipedia
ハリル監督息子が明かす…一家襲った壮絶な過去